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トートロジー

「失恋するのは、恋愛するからだ。」

「失望するのは、希望があるからだ。」

「年をとったと実感するのは、若い日があったからだ。」

「人が死ぬのは、生きているからだ。」

「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ。」

「一人の人の金を盗むと泥棒だが、何万人もの人の年金を使い込んだのは制度の問題だ。」

「不況の唯一の原因は、繁栄だ。」

「気分が落ち込む日があるのは、気分が落ち込まない日があるからだら。」


バカバカしい類語反復(トートロジー)も、次々思い出したり作っていくと、なんだか、真実が見えてくるような気がする。


仕事で、昭和50年代のこととか、昭和から平成になった頃の出来事をまとめることが多く、その頃自分は、どこで、どんな事をしていたのかと思い出す事もしばしばだ。


その頃の自分は、誰に対してどんな発言をしていたのか、どんなつもりで生活していたのか、何を求めていたのかと。


仕事を離れて思い浮かべていると、懐かしくもあり、気恥ずかしくもあり、情けなくもある。


不思議なことに、悔しいとか、腹立たしいとかという気持ちは起きてこない。


先輩からどこでどんな指導を受けたとか、一緒にスポーツをしたこととか、思い出せばみんな若い。

同世代の人も、先輩もいきいきとしている。


そういえば、この先輩は亡くなったのだよな、と気がつくこともあるが、退職して、どこかで元気に過ごしておられたとしても、亡くなられたとしても、自分にとっての先輩は、いつもあの頃のままだ。


「人が死ぬのは、生きているからだ。」というのは、言葉遊びのようだが、

誰かが「人は誰かに忘れ去られた時に死ぬ。」という言葉を言っているようだが、名言だ。


私の中では、お世話になったり、迷惑をかけた先輩はみんな元気だ。



最近知人が、「若い頃、自分のおやじが、家の中で愚痴るのがいやだったが、自分も50代の半ばを過ぎ、よく愚痴るようになった、歳だからしょうがない。」と私に話した。


「もし90歳まで生きるとしたら、これから30年以上も愚痴り続けて、過ごすのですか。

 愚痴らない(愚痴れない)ような生き方をこれからやってみればいいのではないですか。」

と言うのが、私の意見だ。


愚痴るのは、愚痴っている暇があるからだ。

愚痴るのは、誰かに同情してほしいからだ。

愚痴るのは、希望がかなえられなかったのは、自分以外に原因があったことをみんなに認めてほしいからだ。

愚痴るのは、相手の事よりも自分のことに関心があるからだ。

愚痴るのは、相手を気遣うよりも自分を気遣ってほしいと思っているからだ。

愚痴るのは、過去だけを見ているからだ。


変えられない過去を愚痴るのは、反省とは違う。

「あの時、こうすれば良かった。」よりも

「あの時の経験を踏まえて、今後はこうしよう。」

「次は、うまく行く。」と考える方が楽しい。


希望が言えるのは、明日のことは誰も分からないからだ。


専門家とは、過去の出来事の理由付けがうまい人のことかも知れない。

占い師とは、誰も分からない未来のことを、断言しないでそれらしく感じさせる人のことだ。


将来の夢に向かって日々過ごす人と、過去の愚痴を語り続けて生きる人とでは、住む世界が違う。

夢想家とは、他人には理解できないような大きな将来の展望をもっている人の、その夢が実現するまでの過程の状態をいう。


ウォルト・ディズニーには、他人が見えるずっと以前から、ディズニーランドが見えていた。

夢想家の夢が現実になると、成功者と呼ばれる。


私たちは、どんな世界に住み、どんな将来を見ているのだろう。


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