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父親ビジネス

数学でも、国語でも、正解は1つまたは一定の数だけだが、間違いはバラエティに富んでいる。

秩序ある状態は、次第に乱れていく。エントロピーが増大するという。


マスコミでは悪いニュースと、楽しいニュース、いいニュースを混ぜて伝えているが、いい子やいい行いをしたというニュースは取り上げ方が小さく、放送局でも一定していない。


その点、ショッキングなニュースや悪いニュースは、繰り返し繰り返し、再現フィルム、見取り図、インタビュー、心理分析など、当分の間マスコミのネタになる。


人は、同じニュースを何度もみていると、それが頭に深く焼き付く。それが常識、当たり前になるわけではなくても、イメージが固定化し、何かのきっかけでそのイメージが現実に結びつく。


まじめな、ごく普通の、何の問題もない中学生が親殺しになる。

行為をした子供も、なぜ自分がそうしたのか分からないのではないだろうか。


死んでしまった親も、自分のためでなく、子供が殺人者と呼ばれないために、なんとしても生きたかったのではないかと思うと悲しい。

腹立たしい多くの事件の狭間で、ただ悲しくなる事件も繰り返される。


そこには、たまたま起きたと考えるわけにはいかないような、蓋然性があるように思える。

もし、この親が亡くなっていなかったら、親はこの事件をなかったことにするだろう。

そんな事件の数を想像すると、偶然ではすまされないと感じる。


悪いイメージのニュースを繰り返し流し続けることで、洗脳と同じ状態をマスコミが作り出しているのかもしれないと考えると恐ろしくなる。

もっとも影響を受けやすいのは、育ち盛りの子供たちだろう。

子供が自分の未来を常に明るく感じられるような、そんな教育や親子関係、報道のあり方があるのではないだろうか。


自分の子供が二十歳を超える歳になっても、子育ての極意は分からない。

多くの事件を見聞きするたびに、被害者になる可能性も加害者になる可能性も誰にでもあるのではないかと思ってきた。


毎日毎日を積み重ねてきたけれど、何が良かったのか分からない、ただ何とか元気で無事成長してくれたことに感謝するだけだ。


以前にもこのブログに書いたが、子供の目の高さと、親としての目の高さを合わせて過ごしていこうと思っていた。

子供の小さな問題も、子供にとっては大問題なんだと思ってきた。


それと、特に男親は、生活資金だけ稼げばいいというものじゃない(というのが私の考えだ)


多くの場合、成長の過程、中学校か高校かで、子どもには悩みが生じてくる、早ければ小学校の高学年かも知れない。


その時、子どもと親が話が出来る環境が出来ているかどうかが、親、子の両方にとって大切だ。


子どもが小さな頃から全然話をしたことのない、男親、彼は家族を愛していて、その家族のために自分が一生懸命働くことが大切だと思っている。

そして、子どもが大きくなったら自分の事を理解してくれると信じている。


その考えは悪くはないし、間違っているとも思わないが、子どもにちゃんと伝わっているかどうかは分からない。


どうか分からない状態にいる中に、雑誌やテレビ、インターネットなどから、次々と悪いニュースが子どもの頭の中に入ってくる。


そんな悪いニュースが入ってきても、「大丈夫だ!」と一番近い人が強いメッセージを伝えなければ、子どもが守れない時代になっているのではないだろうか。


相手に合わせて分かるように話す、というビジネスでは努力することが、家族に対しては「分かってくれる(はず)」という甘えから、手を抜いていないだろうか、発育途中の子どもにも「分かってくれるはず」は通用しにくい。


同じ家に住んでいても、小さな頃からほとんど話したこともない男親が、子どもが中学生くらいになってから突然、

「自分はあなたの父親だから、悩みがあったら何でも話してくれ。」

と、生徒指導員みたいに、上から目線で命令しても話すはずはない。


その話が出来る状態を作れるのは、子どもが小さな頃から一緒に歩んできたという年月の積み重ねだと思う。


用がある時にしか出てこない父親は、父親ビジネスとしては失敗する手法だろう。



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